いとしまの平家物語 【平家の落人の里】
源氏と平家が激しく争っていた平安時代の終わり頃、情勢は源氏の優勢となり、平家の一門は都から西へ西へと追いやられ、中には九州に落ちのびた者もありました。かつての内大臣、平重盛の内室も、幼いわが子の千姫、福姫を伴い、侍女や郎党と連れ立って、縁戚である筑紫の原田種直を頼って都落ちしてきました。
種直は、内室らを温かく迎えましたが、源氏の追手を警戒して、人目に付かぬ山間の唐原(現在の糸島市二丈満吉)に館を建てて匿(かくま)うことにしました。人里離れた山奥ながら、内室や姫君らは種直から送られてくる食糧などの援助を受け、何不自由なく過ごしておりましたが、時が経てば、やはり都が恋しくなるとみえて、時折路傍の平たい大岩の上に立っては、はるか海の向こうの都の空を懐かしく想っておりました。
一年ほどが過ぎたある夜のこと、内室は、風邪ごこちで早く床についた千姫を館に残して、福姫と乳母を伴い、夕涼みに高原の小道を歩いておりました。すると、近くの草藪(やぶ)の中から人の気配が…。
「誰か?」と乳母が声をかけると、黒い人影がぬっと立ち上がりました。乳母は、福姫をかばいながらも懐剣を身構えましたが、刺客の太刀はそんな二人を容赦なく斬りつけました。
内室もあわやというところで郎党の者らが駆け付け、刺客は逃げましたが、館に戻ってみると、寝ていた千姫はすでに刺客に刺された後でした。追われる身となった内室は、二人の姫をも失って深く絶望し、自刃して果てました。
残された郎党たちは、自分たちも後を追おうとしましたが思いとどまり、素性を隠してひっそりと暮らしながら、永らく姫君らの遺霊を弔ったとのことです。
(志摩歴史資料館)
◇ 企画展「いとしま伝説の時代-伝説の背景にあるもの-」は9月10日まで、糸島市・志摩歴史資料館で開催中。同資料館092(327)4422