「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」。鎌倉、南北朝期の歌人、兼好法師の徒然草(つれづれぐさ)に出てくる一文。花は満開の時だけに、月は欠けていない満月の時だけにめでるものなのか。そうではないだろうと。9月29日の中秋の名月。晴れた夜空に浮かぶ、煌(こう)々と照る月は確かに美しかった。だが、完璧な形ゆえに変化がない▼中学生の頃、月夜には望遠鏡をベランダに据え、天体撮影をしたものだ。当時、デジカメはなく、高感度フィルムを使って撮影していた。天文雑誌の写真のようにうまく撮れているだろうか。カメラ店に持ち込んでプリントに仕上げてもらうのが楽しみだった▼半月は凛としている。月を何度も撮るうち、そう感じるようになった。正面から太陽光を浴びる満月に陰は見られないが、真横から光を受ける半月はクレーターがくっきりと陰をつくる。欠けた月の表面はさまざまな表情を見せ、太古に巨大ないん石が衝突した瞬間など想像をかきたてる▼兼好法師は冒頭の文の後、こう書く。「うちしぐれたる群雲隠れのほど、またなくあはれなり」。少し時雨を降らせた群雲に隠れたときの月がこの上なく趣深いのだという。雲間にのぞいたかと思うと、流れくる雲にさえぎられる。雲の端が明るくなったぞ、あともう少しー。雲の多い空の月見は刺激的だ▼片月見という言葉がある。中秋の名月を見た後、旧暦9月13日(今年は10月27日)の月を再び見ないと、片月見で縁起が良くないともされる。ほんの少しだけ欠けている十三夜。もう一度月を見上げ、兼好法師の価値観を感じてみませんか。
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