【糸島市】《糸島新聞連載コラム まち角》

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 アジアから欧州にまたがる大帝国を築いたモンゴルの大軍が博多湾に攻め寄せてきた文永の役から今年で750年となる。この節目を機に、蒙古(もうこ)襲来の史跡が各地に残る福岡市西区では、西区自治協議会が地域の歴史を次世代につなげていこうと、各地の公民館で歴史講座を開いている▼その一環として、今津公民館で1月24日、福岡市教委元文化財部長の柳田純孝さんによる歴史講座があった。今津には、蒙古軍上陸を防ごうと築造された元寇防塁が復元整備されている。柳田さんは、かつてこの防塁を発掘した経歴があり、興味をひかれて講座に参加した▼知りたかったのは、今津で蒙古軍と鎌倉幕府軍との戦いはあったのか。文永の役で、蒙古軍は現在、福岡市博物館がある辺りの百道海岸に上陸し、見晴らしのいい祖原山に陣取ったとされる。柳田さんは、蒙古軍が今津にも上陸していたという説を講座で紹介した▼元の歴史書に、蒙古軍の上陸先として今津の地名を指すとされる漢字表記があるというのだ。では、蒙古軍はどんな目的で今津を攻めたのか。「今津は、対外交流の拠点だった博多を補う貿易港で(中国の)貿易商人が居留する町もあった」。柳田さんは、蒙古軍が重要な港として今津を掌中に収めたかったと指摘する▼柳田さんは蒙古襲来に関連づけ、大陸との玄関口だった今津のさまざまな歴史についても分かりやすく説明した。宋に渡って臨済宗を日本に伝えた平安末・鎌倉初期の僧、栄西が誓願寺に長く滞在するなど、今津は実に国際色豊かだったという。歴史を知ることで、地域への誇りと愛着が生まれてくる。柳田さんの2回目の講座が28日午前10時、同公民館で行われる。次回は元寇防塁の石の積み方から、構築時の様子を生き生きとよみがえらせるそうだ。

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