水田に水が張られ、壮大な水鏡が一望できる季節になった。車での通勤中、深江から一貴山校区にかけて広がる田園地帯を抜ける時、雷山の青々とした山容がわき立つ夏雲とともに、雄大に水田に映るさまは、なんとも清々しい▼水鏡といえば、南米ボリビアのウユニ塩湖が有名だ。富士山ほどもある高い標高に秋田県と同じくらいの面積の湖が広がり、空気は澄み切っている。世界の絶景としてメディアでよく紹介され、天の川を彼方の湖面まで映す映像を見た人もおられるだろう。奇跡とでも言いたくなる光景だ▼水鏡に限らず、鏡にものが映るさまは古来、神秘的にとらえられてきた。古墳や祭祀遺構では発掘調査で銅鏡が出土し、鏡が古代、呪術的に使われたことが分かる。英語のmirror(ミラー)について調べてみると、ラテン語の「不思議」という意味をもつ言葉に由来するという▼赤ちゃんのとき、初めて向き合った鏡にどんな反応をしただろうか。立て鏡に映る自身の姿がだれだか分からず、手を伸ばして確かめようとしたのか、それとも、はいはいをして鏡の後ろに回り鏡の中にいた人物を探したのか。さぞかし、不思議だったろう▼鏡は、自らの願望や不安、無意識にあるものまで映し出す。水鏡で思い出すのが、イソップ物語の一つの欲張りな犬。肉をくわえた犬が橋を渡る時、下を見ると、同様に肉をくわえた犬が川の中にいた。犬はその肉が欲しくなり、相手を脅そうとしてほえた。すると、肉は川に落ちてしまった。鏡は人の心の中まで映し出してしまうものなのである。毎朝、起床して顔を洗う時、心掛けていることがある。洗面台の鏡を見ながら、満面の笑みを浮かべてみる。楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなるー。鏡の前で、いい一日がスタートする。
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