【糸島市】《糸島新聞連載コラム まち角》

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糸島出身者をはじめ、日本勢の活躍に沸くパリ五輪も、いよいよ終盤。メダリストたちが表彰式で見せる晴れやかな笑顔がいくつも浮かんでくる。印象に残っている一つが馬術総合団体で、銅メダルを獲得した4人。肩を組み白い歯をこぼす様子が報じられた。平均年齢41・5歳。自ら「初老ジャパン」と名乗るが、年齢を感じさせない、はつらつとした姿に元気をもらった人は多いだろう▼ただ、そのニュースに触れた時、92年前のロサンゼルス五輪で、日本人として初めて馬術で金メダルを獲得した人物のことがしのばれてならなかった。当時、陸軍中尉で騎兵だった西竹一。資料映像を見ると、メインスタジアムに詰めかけた10万人の観衆にたたえられ、30歳の青年は落ち着きのある笑みを浮かべていた。華族の家を継いだ男爵。この活躍で、世界に「バロン(男爵)西」の名が広まった▼ロス五輪があったのは1932年。この前年に日本軍が南満州鉄道の線路を爆破し、中国に攻撃をしかけて満州を占領した満州事変が起き、米国では反日感情が高まっていた。ただ、西は軍人ではありながら、ロサンゼルスでは、タキシードを着こなしてパーティーに出かけ、ハリウッドを代表するスターとも交友を深めた。国同士の争いを超え、人同士の絆を結んでいたのである▼西は太平洋戦争末期、日本軍と米軍の激戦地となった硫黄島(小笠原諸島)で中佐として指揮を執り、戦死した。この戦いを描いた映画「硫黄島からの手紙」(2006年)。映画の中で、西は戦闘中、部下に命じ、負傷して倒れた米軍兵を陣地に引き入れた。そして、医薬品が乏しいにも関わらず、できる限りの手当てをさせた▼「バロン西、出てきなさい。世界は君を失うにはあまりにも惜しい」。実際にあったのか明確ではないが、米軍が西に投降を呼びかけたというエピソードがある。心を許し合った米国人との死闘。戦争はむごい。

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