一貴山コミセン 月潭眞龍さんが文化講座
糸島市二丈の一貴山コミュニティセンターで11日、高齢者現代セミナー「う・ふ・ふの会」の歴史・文化講座が開催された。講師は原田大六記念館(非公開)の館長・月潭眞龍(げったんしんりゅう)さん。講演では、在野の考古学者・原田大六(1917~85)について、原田大六の妻の故イトノさんとの交流から得た知見を交えながら、その学説や人となりを熱く語った。

「原田大六の歴史観を受け継ぎたい」と語る月潭さんは、同市二丈波呂の生まれ。「ちょっと掘れば土器の破片が出てくる」という環境で育ち、小学3年生の時に「古代人の指紋の残る土器片」を発見。この経験が彼の歴史観を決定づけたという。「触れた瞬間、自分の中で古代と現代とがつながった」と当時を振り返る。
原田大六は自身が発掘した、日本最大の内行花文八葉鏡が副葬されていた平原弥生古墳(平原王墓)の被葬者を、日本神話に登場する天照大御神(あまてらすおおみかみ)に比定される女性君主であると断言。その後、邪馬台国を王都とした倭女王・卑弥呼(ひみこ)は、平原の初代女性君主の血統を継ぐ、「日神の御子たる女性君主」であり、正しくは「日御子」と記すべきだと主張した。また、「弥生時代の北部九州の史実が日本神話に反映されている。我が糸島こそがその本舞台なのだ」と語っていたという。
2006年には、平原弥生古墳の出土遺物が一括して国宝に指定された。これを機に、月潭さんは、原田大六の著書『実在した神話』を読み、前原に住むイトノさんを訪ねるようになった。交流を深める中で、「ケンカ大六」とも呼ばれた原田氏の少年のような素顔や、古代への深い愛情を知ったという。
「弥生時代、鏡・剣・玉の三器を尊重する文化を携えて、伊都国から大和へと旅立った人々がいた。その史実が『神武天皇の東征』として語られていると原田大六は考えた。そうであれば、近年糸島でその数を増す移住者と呼ばれる人達は『魂の帰還者』と言えるだろう。長い旅路の末に、ようやく故郷へと帰ってきた彼らを『お帰り、ずっと待っていたよ』と迎えたい」と語る月潭さん。また、内行花文八葉鏡を模した最中(もなか)「伊都の鏡」の金型を、菓子店「苑田(そのだ)」から受け継ぎ、現在は自身が製造していることにも言及。「原田大六の生きた証は全て遺したい。それらは私達に、日本国家の起源が糸島であることを思い出させてくれるのだから」と言葉に力を込めた。
(糸島新聞社ホームページに地域情報満載)