西南学院高2年・坂本さんの論文
「歴史研究」に掲載
糸島市在住で、西南学院高2年の坂本康熙(こうき)さんが、昨年8月「全国高等学校歴史学フォーラム2024」(九州国立博物館)で発表した論文「能島(のしま)村上氏と筑前かむり村-大名勢力への帰属と海賊の終焉(しゅうえん)」が、「歴史研究」(戎光祥出版社)3月号に掲載された。論稿では、天正16(1588)年に豊臣秀吉が海賊停止令を発した後、7年余りの期間、瀬戸内海から現在の糸島市加布里へ移住することとなった村上海賊の実態とその生活について論じている。

研究のきっかけは、坂本さんが小学5年の時に訪れた「村上海賊ミュージアム」(愛媛県今治市)にあった展示。解説文に「筑前かむり村」が登場し、その意味が気になり続けていたという。長年の思いを形にするため、昨年4カ月かけて調査を進めた。
研究を進めるうえで最も苦労したのは、史料の不足。糸島市内で加布里に関する文献を徹底的に調べたが、手がかりは見つからなかった。そこで能島村上氏に関する他の研究者の論文を精査し、今治市立図書館から史料を取り寄せた。また加布里の現地調査も行い、地形的な特徴を歩いて確認。論文では当時の地形図を活用しながら、能島村上氏が住んでいた場所が、現在の加布里漁港以南、加布里天満宮以北のどこかであったことを特定した。
能島村上氏は瀬戸内海を追われた後、筑前に滞在し、その後長州へと移ったとされるが、「かむり村」での生活に焦点を当てた研究はほとんどないという。坂本さんは、能島村上氏の時の当主・村上武吉が、筑前で武芸のたつ人物を召し抱えていたことを指摘し「村上海賊は大名の家臣として生き延びるしかないと思っていたが、筑前で闘志を持ち、捲土重来(けんどちょうらい)の機会をうかがっていた可能性があることが意外だった」と話す。また「瀬戸内海最強の水軍といわれた能島村上氏が、自分の住む糸島にいたことを実感でき、研究していて楽しかった」と語る。
「歴史研究」の編集部は「史料が限られている地域ではあるが、そこに着目した著者の視点の鋭さが感じられる」と評価。全国的な歴史専門雑誌に論文が掲載され、坂本さんは「とてもうれしい」と喜びを語る。
「過去に確かに存在したものの、まだ詳しく分かっていないことを研究し、当時の人々の事績を明らかにするのがとてもおもしろい。将来は歴史学者になりたい」と笑顔を見せた。
(糸島新聞社ホームページに地域情報満載)