【糸島市】記憶の風化防止へ語り継ぐ

雷山空襲フィールドワーク

 太平洋戦争末期の1945年6月19日、米軍のB29による爆撃で8人が犠牲になった雷山空襲の被災地を巡るフィールドワークが、3月29日に行われた。戦後80年が経つ中、「雷山空襲遺跡保存委員会」(山下正二会長)「雷山空襲を語り継ぐ会」(吉丸泰生会長)が「戦争の記憶を風化させてはならない」との思いを込めて開催し、会員や校区関係者ら約40人が参加。雷山地区内に残る戦争遺跡を巡り、平和への思いを新たにした。

興福寺にある首なし地蔵の解説をする大原輯一さん(写真右)

 ガイドを務めたのは、生後6カ月の時に空襲に遭い、被災者から聞き取り調査を行ってきた大原輯一(しゅういち)さん(80)と地域で語り部活動を支援する榊勝さん(83)。当時の料理屋「福里屋」の焼け焦げた跡が残る柱や、空襲の爆風で壊され胴体だけが残る興福寺の地蔵など、12カ所の遺跡をくわしく説明した。

 空襲の夜、15人ほどの住民が逃げ込んだとされる「おにぐら」(石室)では「被災者によると、焼夷(しょうい)弾の火で竹がバチバチと燃える音を聞きながら、不安な一晩を過ごしたとのことです」と当時の様子が紹介され、参加者は興味深そうに耳を傾けていた。

 今回巡った戦跡には被災内容を表す立て看板があり、二つの会がフィールドワークに合わせて新たに作成。内容は、2023、24年度の雷山小6年が平和学習で学んだ内容を参考にした。昨年度担任した福嶋悠太教諭(31)も、この日初めてフィールドワークに参加。「机上での学習だけではなく、自分たちの目でしっかり見てどう考えるかという学習の大切さを感じた」と話した。

 本年度には、糸島市が戦跡を紹介する案内板を設置することが決まっており、吉丸会長は「平和の大切さを伝えていくために、戦争の悲惨さを次世代に語り継ぐ必要がある。案内板を見ながら現地を歩き、当時の空気を感じて平和について考えてもらいたい」と思いを語った。

糸島新聞社ホームページに地域情報満載)

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