糸島市二丈「深江戦没者慰霊祭」を10月11日、深江の「正覚寺」で開催した。最後の同慰霊祭だが、参加者は15人。だが戦没者120名も参加してくれていると確信している。
同慰霊祭は、「正覚寺」住職の読経で始まり、焼香のあとは、みな楽しみにしている「法話」で、生きることの意味など分かりやすく話してくれた。この法話が楽しみで参加する人もいる。続いて20年続いた深江女性コーラス「ボニート・コロ」(中園久美子代表、16人)の慰霊コーラスで「村祭」や「里の秋」、「富士山」と映画「ビルマの竪琴」で有名な「埴生の宿」など9曲と、最後は参加者全員での「ふるさと」の合唱。そして記念撮影と、戦死した父たちも食べた「にわかせんぺい」の記念品を配った。

会長あいさつで私が話したのは、昭和16年と17年生まれの同窓生の名簿では勝、勝正、勝彦、勝子、勝代など「勝」の付く名が多いことや、沖縄旅行で知った、修学旅行では「ひめゆりの塔」などの戦跡巡りはほとんどしなくて、水上スキーやスキューバダイビング体験などがほとんどである事実。そして希望として、深江小学校にある戦没者慰霊碑周辺の清掃活動を週に一回でいいので深江小の児童にしてほしいことなど。
また、深江慰霊祭はもう実施しないが、深江遺族会は解散しないことを強調した。だって戦没者遺族である事実は変わらないのだから。そして私は、遺族会活動や父が戦死したビルマ(現ミャンマー)に何度も慰霊巡拝旅行に参加したことや、父の写真と一緒に日本一周自転車ひとり旅をしたので、お浄土で父と会っても恥じることなく語り合えることなどを話した。
糸島市二丈深江 堀田勝国 (83歳)
(糸島新聞社ホームページに地域情報満載)
