【糸島市】《糸島新聞連載コラム まち角》鮎を育む「理想郷」

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竹串を持って、鮎(あゆ)の塩焼きにかぶりつく。炭火で焼かれたパリッとした皮と、ほくほくとした白身の食感がたまらない。大分県日田市の鮎料理専門店。夏の盛りになると、涼を求めて遠出し、滔々(とうとう)と流れる三隈(みくま)川が眺められる店で鮎を味うことにしている。鮎は「香魚」とも表される通り、スイカのような爽やかな香りがほんのりと楽しめる。清流の岩肌の苔(こけ)を食べて大きくなるからだ▼鮎は1年でその生涯を終えることから、「年魚」との異名もある。川の下流域でふ化した鮎は、冬場は餌のプランクトンが豊富な河口付近の海で育ち、春になって川をさかのぼり、上流にたどりつく。そして、縄張りをつくってたくましく成長し、産卵期を迎えると、川を下って産卵し一生を終える▼ただ、三隈川は70年ほど前にダムが建設された影響で、それ以降、天然遡上(そじょう)の鮎はいなくなったという。こうした河川環境の変化に対応し、地元の漁協が稚魚放流の取り組みをし、全国的に知られる鮎漁の歴史を守り続けている▼それにしても、「魚」と「占」を組み合わせて鮎としたのには、どんな由来があるのだろうか。鮎という文字は、日本書紀に登場する神功皇后にまつわる故事からつくられたという説がある。神功皇后が川で魚釣りによって戦勝を占ったとき、鮎がかかったというのだ▼この故事の舞台は、実は糸島に隣接する唐津市浜玉地区を流れる玉島川。元号「令和」の由来となった万葉集の歌人、大伴旅人は、神功皇后の故事に思いをはせ、玉島川を神仙の住むような土地と見立てて歌を詠み、鮎を釣る乙女に出会い、恋心を抱いた貴公子の歌物語を展開させた。たくさんの鮎に恵まれた清流の流れる地は、旅人の時代から「理想郷」のように思われてきたのだろう。日田の人たちは、水が豊かなふるさとに愛着を込め、「水郷ひた」と呼んでいるという。水郷の読み方は「すいごう」ではなく「すいきょう」。流れの清らかさに誇りを抱く日田の人たちの思いが伝わってくる。こうした思いは、糸島の人にも通じるところがある。

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