《糸島新聞連載コラム まち角》

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「島唄」に秘められた沖縄戦

 ウクライナ南部の水力発電所のダムが破壊され、大規模な洪水が発生し、下流地域で暮らす住民が危機にさらされている。戦争は武器を持たない住民を巻き込み、戦いを望まない人々に大きな犠牲を強いることをあらためて思い知らされた▼前回の小欄で向き合った太平洋戦争末期の沖縄戦。米軍が「ありったけの地獄をあつめた」戦場と呼び、住民の死者数は戦死した兵士を上回ったという。「歌詞はすべて暗喩」と前回触れたザ・ブームの「島唄」(作詞作曲・宮沢和史)の歌詞から、住民が凄惨な戦いにのみ込まれていった状況を読み取った▼「でいご」が咲き乱れ、嵐が来たという歌い出し。真っ赤な花を咲かせるデイゴが例年より多く花をつけると、台風が多発するという言い伝えがある。沖縄ですさまじい地上戦が行われたのは1945年3月末から6月末。ちょうどデイゴが咲き誇る時季。歌詞の「嵐」とは「鉄の嵐」にたとえられる、米軍による激烈で無差別な艦砲射撃や空襲のことだ▼歌では、ウージの森(サトウキビ畑)で男女が出会い、ウージの下(自然壕(ごう)の中)で「千代にさよなら」をする。表の意味は男女の別れだが、実は集団自決の惨禍を伝える。米軍の捕虜にならないよう、日本軍から恐怖心を植えこまれた住民は米軍が上陸してくると、自ら命を絶つしかないという絶望に襲われた▼糸島でも住民が米軍の空襲によって犠牲になった。沖縄戦終結4日前の同年6月19日。焼夷弾が投下され「火の雨」が降り注ぎ、8人が亡くなった雷山空襲。田園が広がるこの地を訪れる度、いつもこみ上げてくる思い。「どうして、こんなのどかな地に」。戦争は不条理。それゆえにむごい。

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