いとしまの平家物語 【原田種直と平家】
糸島は、平家一門との縁がある土地としても知られています。とりわけ、怡土の原田氏の祖で平安時代末期に活躍した原田種直とは、強い結びつきがありました。
種直は、天慶三(940)年の藤原純友の乱(天慶の乱)を鎮圧するために活躍した大蔵春実の子孫にあたる人物です。保元の乱(1156年)以降、平清盛・平頼盛らと私的主従関係を結び、清盛の嫡男である平重盛の養女を妻として迎え入れ、より強固な関係を築きます。
また、治承三(1179)年、後白河法皇が平清盛によって鳥羽殿に幽閉された際には、実弟の美気三郎敦種(波多江種貞)らを含む約3,000余騎の随兵を率いて、御所の警備役を務めています。翌年に起こった鎮西反乱では、肥後国の菊池隆直らと戦ったことにより、平家からの厚い信頼を得ました。
寿永二(1183)年に平家の都落ちが始まると、種直は、曾祖父・種資の代から構えていた岩門(現那珂川市)の館の側に御所(仮行宮)を造って安徳天皇を迎え入れ、源氏軍との決戦に備えています。
しかし、翌年の一ノ谷の戦い以降、平家一門の多くが源氏軍に討ち取られ、最終決戦となった壇ノ浦の戦いで平家の栄華は終焉を迎えます。
種直は、壇ノ浦の戦いでの敗戦後、源頼朝によって鎌倉に幽閉されていましたが、建久八(1190)年に赦免され、怡土郡原田庄に領地を与えられます。その後、怡土郡に定着した原田氏は、同地に大きな影響力を持つようになるのです。 (志摩歴史資料館)
◇ 企画展「いとしま伝説の時代-伝説の背景にあるもの-」は9月10日まで、糸島市・志摩歴史資料館で開催中。同資料館092(327)4422