「今年はやるからね。ゆっくりと、曳山(やま)を楽しんでください」。唐津の知人から久しぶりの電話。コロナ禍で休んでいた唐津くんちの接待を4年ぶりに行うというお誘いだった。漆塗りの曳山が勇壮に次々と曳(ひ)かれていく通り沿い。知人の家の座敷はくんち見物の特等席で、御旅所神幸の3日に訪ねると、大勢の人でにぎわっていた▼江戸時代、藩主の入れ替わりが激しかった唐津。城下町に根付き、代々活気づけてきたのは町人だ。町人は、その心意気を見せつけるかのように、豪華絢爛(けんらん)な曳山を曳くようになった。くんちのとき、お世話になった人や友人を豪勢な料理でもてなし、その慣習が脈々と受け継がれている▼「エンヤ」「ヨイサ」。掛け声を響かせながら、町中を威勢よく駆け抜ける曳き子たち。一方、女性たちは山海の幸をふんだんに使い、家々で伝授された料理づくりで腕を振るう。接待は、曳山巡行とともに欠かせないくんちの大切な文化だ▼「三月(みつき)倒れ」という言葉が唐津にある。3カ月分の稼ぎを、くんち料理に注ぎ込むというたとえ。高級魚のアラを姿煮にして振る舞う家もあり、巨大なアラを煮付ける専用の鍋まである▼鉢盛料理と酒を味わい、知り合ったばかりの人と会話を弾ませるのも楽しみの一つ。今年は酒を酌み交わすうち、いつの間にか、すべての曳山が通り過ぎてしまっていた。ただ、笛や太鼓、鐘の囃子(はやし)の音色は心にしみ込んだ。大忙しの女性の中には、曳山巡行をちゃんと目にしたことがない人も。鳴り響く囃子で、外のにぎやかさを感じるのだという。おもてなしに精いっぱい尽くす女性たちも、曳き子と同様「粋でいなせ」。もう一つのかっこよさがある。
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