雷山コミセン 除幕式に住民ら参加
太平洋戦争末期の1945年6月19日、米軍のB29爆撃機が投下した焼夷(しょうい)弾により、糸島市雷山地区(旧雷山村)が甚大な被害を受けた雷山空襲。糸島市は、戦争の歴史を次世代へ伝え残していこうと、同市の雷山コミュニティセンター内に空襲の説明看板を設置した。21日に行われた除幕式には、地元住民や関係者など約50人が出席し、平和への思いを新たにした。

今回設置された看板は、縦1.2メートル、横2.5メートル。20戸以上の家屋や学校などが焼失し、8人の命が奪われた雷山空襲の被害の様子を、地図や写真を交えて説明。戦没者・空襲犠牲者の慰霊塔や、興福寺に残る空襲で頭部が壊れた地蔵などが写真付きで解説されており、戦争の痕跡を視覚的に伝える内容になっている。市は今後、地域を巡るフィールドワークや平和学習、生涯学習などの教育的活動に活用する方針だ。
看板の設置は、地元で活動する「雷山空襲遺跡保存委員会」(山下正二会長)などが、2年前から市に要望。空襲の焼け跡が残っていた元料亭「福里屋」が解体されたことを機に、戦争の痕跡が年々姿を消していることに危機感を持ち、戦争の記憶を風化させないための取り組みとして実現した。

除幕式で山下会長は「この看板が設置されたことで、戦争のない平和な世の中の実現につながってほしい」と述べた。また「雷山空襲を語り継ぐ会」の吉丸泰生会長は「案内板の設置は長年の願いだった。被災した人々の苦しみや悲しみを風化させないためにも、啓発活動に役立てていきたい」と話した。
(糸島新聞社ホームページに地域情報満載)