【糸島市】再飛来願いながら急逝/二丈鹿家のオーレリアン樹庵

夫の長岡さん、花を植え楽園に

 古民家の息づかいが感じられる雰囲気の中で、工芸作品などを紹介してきた糸島市二丈鹿家のギャラリー樹庵が展示会の催しに終止符を打ち、人々の心をいやす新たな取り組みを進めている。愛蝶(あいちょう)倶楽部(くらぶ)「オーレリアン樹庵」。「旅するチョウ」のアサギマダラをはじめ、美しいチョウを呼び寄せ、だれもが愛でられる観賞の場にするという。転機は、樹庵オーナーの妻の急死。庭でアサギマダラと出合い、再飛来を楽しみにしていたが、かなわなかった。オーナーはアサギマダラが群舞する日を思いながら、多くの人にチョウの楽園で和んでもらいたいと願う。


 オーナーは長岡秀世さん(73)。十坊山の麓の里山にある築100年ほどの古民家を再生させ、1996年から妻の順子(よりこ)さんと二人三脚で、ギャラリーを営んできた。前庭には花木や山野草が植えられ、順子さんはかれんな花やチョウをカメラで撮影するのが好きだった。
 「羽に何か書いてある。急いでメモして」。亡くなる1カ月前の2021年10月下旬、順子さんが弱り切ったアサギマダラをそっとつまんで、ギャラリー展示場の座敷にいた長岡さんのもとに見せに来た。長岡さんが素早く文字を写し取ると、順子さんはチョウをすぐに庭で放ち、花々の蜜を吸わせた。そして声を掛けた。「また、来てね」

長岡順子さん


 アサギマダラは数千キロもの距離を旅するチョウ。その移動状況調査のため、全国の有志や団体が各地で羽にマーキングを施している。サインペンで記されたその文字は「白山 9/13 KA32」。長岡さん夫婦が専門家に問い合わせたところ、石川県の白山山麓で放たれたアサギマダラと分かった。
 アサギマダラは南下して、南の沖縄などで寒い時期を過した後、春になると再び北上して戻ってくる。そのことを知った夫婦は再会を楽しみに待つようになった。だが、順子さんは同年11月下旬、急性心筋梗塞で急逝した。享年72歳。
 長岡さんは、順子さんのチョウを見つめる優しい笑顔を心に浮かべながら、アサギマダラが好むフジバカマをはじめ、チョウの蜜源となる6種類の草花150株を植えた。昨年5月、その思いがとうとうかなった。北上してきた1匹目が飛来した。アサギマダラは、長岡さんの頭上を何度も巡った。長岡さんは、順子さんの「化身」に思えてならなかった。「よく来たね。お帰りなさい」。大粒の涙がこぼれた。アサギマダラは1日留まって去っていった。

2022年10月12日、飛来したアサギマダラ。
羽のマーキングから長野県の高原で放たれたことが分かった


 南下が始まる秋。長岡さんは順子さんが使っていたカメラを近くに置き、座敷から庭を眺める日々が続いた。9月に九州に上陸した台風14号が影響したためか、いくら待っても、アサギマダラは現れなかった。長岡さんは10月中旬、寂しげに祭壇に目をやった。そのとき、祭壇から庭が見えていないことに気づいた。
 「チョウがやって来ても見られないよね」。長岡さんは祭壇そばの障子を開けた。穏やかな日差しが祭壇に差し込む翌日の午後、奇跡が起きた。順子さんが生前、アサギマダラを見つけた同じ花の周りを、1匹が舞っていた。祭壇からもちょうど見える場所だった。台風に耐えながら旅してきたためか、羽は傷み、疲れをいやすかのようにフジバカマの花にとまった。 「今度の春は、もっと花を増やすからね。また、おいで」。

障子を開け、順子さんの祭壇から庭が見えるようにしている


 オーレリアンは、ラテン語に由来し「チョウを愛する人」という意味。「旅するチョウに心を打たれた妻の思いに、どうか触れてもらえたら」。訪問の際には事前連絡を。オーレリアン樹庵=092(326)5336。

フジバカマ(手前)などを植え、旅するチョウのアサギマダラの蜜源にしている長岡秀世さん

(2023年1月1日、糸島新聞掲載)

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この記事を書いた人

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