昭和の糸島#434

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船越山からの展望   昭和28年5月

 昭和27年8月、前原町は海上警備隊(後の海上自衛隊)の基地を加布里湾から船越湾一帯に誘致しようと運動を始めた。


 海上警備隊とは、海上自衛力強化のため昭和27年に海上保安庁の中に設置された警備機関で、当初3200人の隊員が採用され、横須賀(神奈川県)と舞鶴(京都府)の両基地に配属された。


 さらに国では呉(広島県)に地方総監部を設置するほか、全国数カ所に海上警備隊の基地を設ける方針で、前原町は「加布里-船越一帯は大陸との玄関口でもあり、古くから天然の良港」として誘致に名乗りを上げたが、結局、全国の有力候補地の一つには入ったものの、最終的には選ばれなかった。


 その後、小富士村の大櫛喜六村長が漁業振興のために総工費8000万円をかけて船越漁港大改修の計画を立てるなど、昭和27年から翌28年にかけて、船越に関する話題が多かったことから、本紙では昭和28年5月に船越の先端の山の頂上から撮影した船越漁港一帯の様子を紹介した。

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