中山間地域、持続的な農業へ続く挑戦

 平野の外縁部から山間地にかけて広がる中山間地域。棚田や果樹園などが営まれ、水源かん養や洪水防止などの多面的な機能をもち、糸島地域の人たちの豊かな暮らしを守っている。ただ、農家の高齢化や担い手不足によって耕作放棄地が増えるなど、中山間地域の農業をめぐる状況は厳しい。持続的な農業をこれからも行っていくには、どのような課題があり、解決しないといけないのか、現地を訪ねてみた。

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井原山田緑プロジェクト

街の人の共助で棚田守り

 「田んぼの縁」で街と農村の人をつなぐー。井原山のふもとに広がる糸島市瑞梅寺地区の棚田に、糸島、福岡の市民が通い、稲作などをする「井原山田縁プロジェクト」が始まり、今年で20周年になる。

 きっかけは、プロジェクトの事務局長、川口進さん(65)に、交流のあった瑞梅寺の農家があきらめ気味に語った言葉。「もう年なので、あと何年米づくりできるか分からん。息子も農家は継がないし」。棚田の担い手が高齢化した瑞梅寺では休耕田が増えていた。

 「街の人たちが『小さな農家』になることで、棚田を守っていけるのではないか」。当初26世帯、40アールの棚田で始まったプロジェクトは昨シーズン、150世帯が参加し、棚田は315アールに拡大した。

 プロジェクトは毎年、会員を募集し、無農薬有機栽培での田植え、草取り、稲刈りなどが体験できる「米づくりサポーター」になってもらっている。週末、家族連れで気軽に参加でき、農作業をした大人には、収穫した作物の購入で使用できる地域通貨「ぎっとん券」がもらえる楽しみも。

 サポーターの世話役をしているのが「でんえん隊」として選抜された活動熱心な15人の会員たち。9年前からプロジェクトに参加する福岡市西区の篠崎啓明さん(76)もその一人。週3回、通ってきて棚田周辺の草刈りなどで汗を流す。

井原山田縁プロジェクトに参加している篠崎啓明さん

 「自分たちで安心安全なものを作り、自分たちで食べる『自産自消』が魅力。ただ、ここには日本の農村の原風景があります。先人が自然と折り合いをつけようと、つくってきた棚田の広がる里山を守っていきたいとの思いがあります」。棚田周辺では、セリやツクシ、フキノトウといった山菜をごく普通に見かけ、近所のおばあちゃんがおいしい食べ方を教えてくれる。

 篠崎さんたちでんえん隊のメンバーは、地元の人たちが行う道路沿いの草刈りや水路の泥上げといった出方にも参加する。農村部の人たちとの支え合いを大切にしているが、気にかかっていることもある。人口約130人のうち、4割以上が高齢者となっている中山間地域の現実だ。

 「地元の人が自助によって里山を守っていこうとしているから、街の人が共助で力を貸していける。地元の人たちが、きちんと収入になる農業をして、未来につないでいくことがこれからは欠かせない」。

 共助が成り立っていくのは、何よりも地元による自助あってこそ。川口さんと篠崎さんの共通した思いだ。

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二丈吉井で市民水田

多様な担い手確保へ模索

 遠くに玄界灘を見下ろす糸島市二丈吉井の棚田で、田植えと稲刈りなどの作業を通して米作りを体験する「糸島赤米コメ道場」。前身である旧二丈町時代に始まった「糸島まるごとコメ道場」から数えて16年目の開催となる。現在は、二丈赤米生産組合の主催で開催しており、今年は80人の募集に対し、市内外から120人の親子連れが参加した。準備から当日の運営までを中心になって担う二丈赤米産直センターの吉住万葉さん(40)は「参加者が多くなりすぎて、それぞれの人とゆっくり話ができない」と苦笑する。

海を望む棚田と万葉さん

 イベント会場となる二丈吉井地区は海と山が近接し、斜面にはミカン畑や棚田が続く。昔は林業や養蚕用の桑畑、柑橘類など、斜面を利用した園芸作物と棚田を使った自家用米の複合経営が主流の地域だったが、昭和30年代以降は、外へ働きに行く人も増え、多くの農家が自家用米中心の兼業農家にスタイルを変えた。それでも最近までは兼業とはいえ、軸足は農家の方にある人が多かったが、だんだんと「もう作れなくなった」と耕作の依頼が地元の農事組合法人福吉に続々と入るようになってきた。同法人の代表も務める万葉さんの父、公洋さんは、農業から軸足が離れる兼業農家が増えているのを感じる。

 担い手減少は深刻な状況だが、一方では新たな風も感じる。20軒ばかりの集落に、ここ十数年で6軒の移住者があり、そのうちの2家族は「家族が食べる米は自分で作りたい」と米作りにいそしむ。

 2023年4月から、多様な就農を後押しするために農地法が改正され、農地の貸し借り等に必須だった営農面積の下限が撤廃された。

 「市民農園があるなら市民水田があっていい」。公洋さんは多様な担い手に関心を向ける。

 加布里に住む真鍋浩二さん(64)は、2年前から吉井で米作りに挑戦している。今年は2枚の田んぼ約12アールを借りた。「手刈りで始めたが、さすがに2枚目は手が回らず、組合の機械を借りた。自分で作ったお米の収穫がうれしくて知り合いに配りまくったら自家用分以外はなくなってしまったけれど」。

 真鍋さんの相談に乗り、市民水田のモデルをともに模索する公洋さんは「都会住民のレクリエーションに資するというレベルではなく、地元出身ではなくても、かつての兼業農家のように仕事を持ちながら、自家用米を作るというスタイルが普及すれば、農地の多面的機能や景観も維持される。中山間地で自家用米を作る市民水田が広がるよう行政にも協力をお願いしたい」と、新しいライフスタイルの在り方を提案する。

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この記事を書いた人

1917(大正6)年の創刊以来、郷土の皆様とともに歩み続ける地域に密着したニュースを発信しています。

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