【糸島市】《糸島新聞連載コラム まち角》山下清が「長岡の花火」に込めた願い

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その画家の純朴さに、仏様のような平和な心を感じた。夜空に花開くいくつもの花火を描いた貼り絵。心の中で手を合わせ、ただただ見入った。県立博物館で12月22日まで催されている「生誕100年 山下清展-百年目の大回想」。代表作の一つ「長岡の花火」と向き合ったとき、山下清が遺した言葉がよみがえってきた▼「みんなが爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかりつくっていたら きっと戦争なんて おきなかったんだな」。新潟県長岡市で8月に行われる日本三大花火の一つ、長岡まつりの大花火大会。戦時中に中止され、1947年に復活した花火大会には、長岡の戦災復興と平和の祈りが込められている。長岡は終戦間際、米軍のすさまじい爆撃を受け、1488人の犠牲者が出た。花火が美しく広がるさまを描いた山下清の絵は、平和への思いをにじませる▼テレビドラマを通し、裸の大将として親しまれている山下清。「放浪の画家」と呼ばれ、30歳過ぎまで気ままな放浪生活を続けた。ただ、その旅の始まりは、戦争に追われるかのようだった。18歳だった山下清は1940年、生活を送っていた学園から突然姿を消す。日中戦争が泥沼化し、太平洋戦争に突入していこうとする時代▼山下清は2年後に徴兵検査を控えていた。山下清の放浪日記を読むと、兵隊になるのを恐れる正直な心情をつづっている。「敵のたまに当たって死ぬのが一番おっかないなと思って居ました」。学園を逃げ出した理由には徴兵への恐怖があったともいう▼長岡の花火を題材にした映画「この空の花-長岡花火物語」を遺した大林宣彦監督は、この映画をつくる中で「散開」という言葉を学んだという。下から打ち上げて火薬を爆発させて散開させるか、上から落として散開させるか。それが花火と爆弾の違い。世界中から弾薬が尽きるまで、花火を打ち上げて散開させたら、いいではないか。さぞ、美しいだろう。山下清の言葉をかみ締めながら思う。

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