【糸島市】昭和の糸島#436

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久安寺から浮嶽を仰ぐ   昭和35年11月

 筑紫富士といえば多くの人がすぐに可也山を思い浮かべるが、昔は浮嶽を指して筑紫富士と言っていたらしく、可也山に劣らず美しい山容を見せている。

 当時、糸島には海や山を訪れる行楽客が増えていたことから、糸島郡観光協会連合会の野田勢次郎会長や地元の山岳愛好家ら十数人で、登山道や遊歩道、広場などの整備が進んだ二丈村の山々を視察した。

 当日は大入駅で下車した後、桜の時期には多くの人でにぎわう福寿台から二女渓(二丈渓谷の昔の名称)や真名子を通り、県境を過ぎたあたりから浮嶽登山道に入る。この登山道は福岡こだま会が2年がかりで整備し、道標も設置されている。

 二丈岳や羽金山、雷山、井原山などを眺めながら登り、標高805メートルの浮嶽山頂に到着。浮嶽神社上宮に参拝し、休憩を取りながら急坂を下って福吉駅を目指す。

 野田会長をはじめ、参加した関係者は「糸島の登山道も随分整備された」と話していた。写真は帰路、久安寺(きわじ)から眺めた浮嶽の様子である。

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