春の陽気に誘われ、休日、庭いじりに精を出した。あらかじめ土づくりをしておいた花壇にグラジオラスの球根、プランターにはバラの苗を植え、花が咲き乱れる様子をイメージしながら、水やりをした。年度末に忙しいときを過ごしていたので、まさに「忙中閑(ぼうちゅうかん)あり」だった▼どんなに忙しくても、心静かに過ごせる暇はある。こうした意味をもつこの言葉は、大正・昭和期の陽明学者、安岡正篤による自己修養のための教えの一つ。以前、小欄で触れたが、儒学の一派である陽明学の中心思想に「知行合一(ちこうごういつ)」がある。知識と行為は一体であり、実践を伴わなければならないとする。この思想から「忙中閑あり」を解釈すると、忙しさの中でも意識的に暇をつくりだし、余裕のある時間をもつ姿勢を大事にしなければならないということだろう▼常に死と隣り合わせだった過酷な戦国時代、武将たちは、精神の均衡を保つために「忙中閑あり」の実践をしていた。よく知られているのが茶の湯。町中にいながらして山中の風情を楽しむ「市中の山居」の茶室で、武将たちは心の休息を得た。古田織部は、茶道を確立した千利休の弟子として精進し、織部流を興した。織田信長は名物茶器を収集し、天下人となった豊臣秀吉は大規模な茶会を催した。武将たちは、それぞれのスタイルで、茶の湯と向き合い、心の安定を図った▼趣味で京都のお寺巡りをするとき、楽しみにしているのが枯山水の石庭の鑑賞。心を落ち着かせる「閑」を得られる空間だ。水を使わずに石と砂利、苔(こけ)で、山河や宇宙の広がりを表している。無駄なものをそぎ落とした静かな庭を眺めていると、「忙中閑あり」の境地になる▼ただ、非日常の世界に身を置かなくても、この境地になれるのだと思う。要は、気持ちの切り替え。仕事に忙殺されているとき、あえて時間をつくって、窓辺に立ってみる。ほっと一息つき、1分でもいいから空を見上げる。意図的に閑になることで、幸せになるための時間を取り戻すことができる。うまく視点を転換することで、日常の中にゆとりを生み出していきたい。
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