糸島生まれの釜揚げ牧のうどん

地域に愛され50年

 福岡のうどん三傑に数えられる「牧のうどん」が11月に、創立50周年を迎える。製麺業を営んでいた初代が、ゆでたての釜揚げスタイルのうどんを提供する店として1973年スタート、スープを吸って膨らむもちもちの麺はしっかりと地元の人に愛されている。二代目となる畑中俊弘社長(61)に自社への思いを聞いた。

二代目社長・畑中俊弘さんに聞く

-帰省すると必ず寄る、季節を問わず食べたくなると言われ福岡のソウルフードとなっています。味にはどのようなこだわりが。

 「14年前に親父から引継いだ後、だしを変えました。新物の昆布ではなく熟成昆布をふんだんに使い、一番だししか使わない。『昔と変わらずおいしい』というのは、時代とともに変化していくおいしさを求めて、日々進化しているから、そう感じるのだと思います」

-これだけの人気を誇っていますが、現在の18店舗に加え、今後拡大戦略をとられるのですか。

 「どの店舗でも同じ味を楽しんでいただけるよう、本店で一括してだしをとっていますが、そのだしの香りが飛ばない最低の範囲、『本店から運搬車で1時間半の範囲』内にしかお店は出しません。また、雇用のことを考えると、今は概(おおむ)ね人口が増えている場所に出店していますが、裏を返すと人口が減っている地域への出店は難しいです」

-牧のうどんの魅力の一つは、店内に響く店員さんの明るい声だと思います。従業員が会社を愛してこそだと思いますが、愛される秘訣(ひけつ)は。

 「ここを継ぐ前は商社マンとしてグローバルに仕事をしていました。そこで得た視点を今の経営にも生かしています。金融市場の拡大が実体経済の伸びを上回っています。ですから、金融市場から利益を得る必要があると思い、あくまでもリスクヘッジとして資金運用にも力を入れています。これらも全て含めて一生懸命賃金をお支払いしている』ということです」

-だしの香りからグローバル経済まで…。少し足元に戻りますと、他店にはないユニークなところの一つに、つぎ足し用のだしが小さなやかんに入ってついてくる、というものです。

 「創業者である父が最初にあつらえた丼鉢が小さめだったんです。元々、製麺業なので麺にアドバンテージがある。お客さんにお腹いっぱいうどんを食べてもらえるよう麺の量をサービスすると、だしの入る余地がない。だから横に付けたんです。つぎ足して回るには人手がかかるからやかんに入れてセルフでどうぞ、と」

-そんな理由ですか⁉卓上にあるネギが入れ放題なのもなにか理由が…。

 「ないです。ねぎが入れ放題っていうのは元々どのお店もやっていました。ただ大半のお店はネギの高騰によりやめてしまったんです」

 「北海道の最北端で採れるだし用利尻昆布の取引量の7%程度はうちが占めています。うどんに使うASW小麦は日本の麺向けに作られたオーストラリア産の小麦です。昆布の生育に関係する北海道の夏の天候も気になるし、オーストラリアの干ばつや降水量も気になる。ロシアの戦争で肥料高騰も影響を及ぼしており、国際金融マーケットの動向を知っておかないとうどん屋経営はできません

と畑中さん。一杯のうどんから世界を見ている

 「地元糸島の人口が増えることはお客さんも増えるということ。5、6年前から糸島市に街灯設置費用として年間100万円程度を寄付しています。明るいところでは犯罪は起きにくい。治安がいいところに人は住みたいので人口が増える。糸島市の人口が増えていくといいと思っています」。

取りたてのだしや麺を載せるため製麺所駐車場に居並ぶ牧のうどん号

ー取材後記ー
 今年50歳になる糸島生まれの本紙のスタッフは、「昔はお店にガチャガチャがあり、おもちゃをゲットするのが楽しみだった」と懐かしむ。子どもの頃は店内にはいつも演歌が流れていた。牧のうどんと共に育ってきたと言っても過言ではない。持ち帰り用のだしを使い、茶わん蒸し、炊き込みご飯、お雑煮も作る。
 だしを口に含みほっと一息、味が染みたふわふわのうどんにお気に入りのトッピングを載せて食べると、こころが落ち着く。地元で揺るぎない地位を築き、暮らしの中に深く入り込む牧のうどん。糸島ライフの傍らにいつまでもあって欲しいと切に願う。

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この記事を書いた人

1917(大正6)年の創刊以来、郷土の皆様とともに歩み続ける地域に密着したニュースを発信しています。

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