昭和の糸島– tag –
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新聞記事
昭和の糸島 #409
【玄界島に再び医師が 昭和34年1月】 長年、医師や診療施設がなく困っていた離島の北崎村の玄界島に昭和33年7月、島民待望の福岡日赤病院の直営診療所ができた。 診療所は、国の無医村対策に伴う県下初の事業で、建物約26坪、診察室などのほか、レン... -
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昭和の糸島 #408
【海岸線の復旧工事完了へ 昭和35年9月】 昭和34年9月に糸島地方を襲った台風14号は、志摩村を中心に前原町の一部と二丈村の片山など村の西岸地区で、収穫を目前に控えた稲田に、倒伏や病害虫発生など大きな被害を与えた。 このほか海岸線にも大きな... -
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昭和の糸島 #407
【湯溜池の水利権問題 昭和27年8月】 JR九大学研都市駅西側にある湯溜池は、新設学校用地となり、現在埋め立て工事などが進められている。その湯溜池だが戦後の一時期、周船寺村と元岡村の間で農業用水利権をめぐって対立が続いていたことがある。 湯... -
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昭和の糸島 #406
【交通安全地蔵尊の開眼式 昭和41年12月】 二丈町の国道202号沿いに交通安全を祈るお地蔵さまが建てられ、12月7日に開眼式が行われた。 お地蔵さまが立つ場所は同町下松末の片山バス停近くで、カーブになっているものの見通しがよく道路も舗装された... -
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昭和の糸島 #405
【今山から見た今宿方面 昭和39年5月】 今山から見た今宿方面 昭和39年に本紙記者が今山(福岡市西区横浜)を訪れた際、急速に発展する今宿方面を写した写真で、連載の「新旧いとしまところどころ」で紹介した。 写真中央を走る白く映る道路は、現在... -
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昭和の糸島 #404
【小中学校で七夕揮毫大会 昭和29年7月】 糸島郡の教職員組合文化部が、毎年行っている小学生児童と中学校生徒を対象にした「七夕揮毫(きごう)大会」が7日に実施された。 大会には今年から小学三年生以下は鉛筆(硬筆)で参加したこともあり、郡内... -
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昭和の糸島 #403
【前原町役場前に児童公園 昭和55年3月】 「丸田児童公園」の完成写真 前原町役場前に整備が進められていた「丸田児童公園」が完成、昭和55年3月28日に竣工式が開かれた。 公園は、前原町などが行っていた丸田墓地整備の跡地3,300平方メートルの用地... -
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昭和の糸島 #402
【福吉校区に児童図書館 昭和55年2月】 廃バス利用の「児童ハウス・ふくよし号」 二丈町の福吉校区公民館が、昭和55年2月から校区内の各家庭で不要になった児童向けの書籍の寄贈を呼び掛けた。 これは、県青少年対策室から古くなった大型バスを図書館... -
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昭和の糸島 #401
【復元された国境の石標 昭和46年9月】 二丈町鹿家の山中の復元された国境の石標 二丈町鹿家の山中で倒れたままになっていた昔の国境を示す石標が、地元や関係者などからの要望を受けて昭和46年9月、町教育委員会によって復元された。 この石標は、現... -
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【糸島市】昭和の糸島 #400
【青果市場の初競り 昭和55年1月】 福岡大同青果前原支店での初競りの様子 正月気分も抜け、糸島地区の食を支える農産物や海産物の市場が本格的に稼働を始めた。 前原町高田の福岡大同青果前原支店(現在のミスターマックス糸島店付近)で昭和55年1月... -
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【糸島市】昭和の糸島 #399
【深江の旱魃試験場跡地は 昭和27年4月】 昭和9年(1934)に糸島を含む九州北部を襲った大干ばつを機に、農林省が深江村に設置していた国立旱魃(かんばつ)試験場は次第に役目を終え、戦後は県に移管されて現在は農業改良事務所の委託採種場となってい... -
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【糸島市】昭和の糸島 #398
【姫島に待望の電気が灯る 昭和27年12月】 姫島発電所の様子 電灯がなく不便していた糸島の離島・姫島に、全島民が要望していた自家発電施設ができることが決まった。 芥屋村姫島には63世帯があり、昔ながらのランプを使っている家庭もまだ14、15世帯... -
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【糸島市】昭和の糸島 #397
【部下の供養を続け22年 昭和41年9月】 雷山千如寺で戦死した部下たちの回向を執り行う 前原町の桜井信一さんが8月28日、雷山千如寺で戦死した部下たちの回向を執り行った。 桜井さんは糸島中学(現糸島高校)の教師をしていたが、日支事変(日中戦争... -
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【糸島市】昭和の糸島 #396
【小蔵の小豆八斗石 昭和40年12月】 小蔵の小豆八斗石 昔から名勝白糸滝で有名な白糸(小蔵)地区の、熊野神社境内にある大小四つの丸い石の由来を紹介している。この石はボールのようなきれいな球体状で、地元の人たちは、大きい順に「小豆八斗石(あ...